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  古座川のイベント・まつり・民話
花爛漫・民話と歴史の里
桜前線が南から上がってくるにつれ、古座川の山並みは淡いパステルカラーが彩り始めます。一枚岩周辺や佐田のダム湖畔は桜の名所としても有名で、桜祭りなどのイベントが開催されます。また、古くは鎌倉・室町時代からの史実も残る歴史ある町には、多くの民話や言い伝えも残り、連綿と続いてきた祭りなども残されています。
毎年開催されるイベントや古くから伝わる民話、言い伝えお祭りなどを紹介いたします。
  イベント・まつり
◆古座川桜祭り
「佐田の桜まつり」とも呼ばれる約3000本のソメイヨシノが、七川ダム湖畔周囲約5kmに渡って咲き誇ります。また「日本さくら名所100選」にも選ばれた名所で、湖畔を散策しながらの花見は人気で、開花時期に合わせ毎年3月下旬から4月上旬にかけて10日間程度、歌や踊りなど多彩な催しが行われます。期間中、色とりどりのこいのぼりが泳ぎ、サクラとこいのぼりという異色の組み合わせが話題を呼び日没後はぼんぼり提灯で夜桜も楽しめます。
◆古座川クリーンアップ
清流古座川をカヌーで下りながら流域のゴミ拾いをする「古座川クリーンアップ大作戦」は毎年、7月中旬に、古座川町、串本町など古座川流域の観光協会や団体が中心となって行われます。県内外から沢山の参加者があり、一日、清流古座川とカヌーツーリングを楽しみます。
◆古座川秋祭り(農林業祭り)
毎年、11月の下旬(日曜日)に行われていた古座川町農林業祭りが、名称も新たに「古座川秋祭り」として、地元の特産品や旬の物のが並び、販売や競り市などが行われます。
また、毎年恒例の”冬の味覚・美味しいボタン鍋の試食”や各種イベントが催され賑わいます。
◆丸山神社例祭
東牟婁郡古座川町西川区内にあり、祭神は天照皇大神
西川は非常に歴史のある郷で、西暦474年、物部氏に追われた朝日家がこの西川に住み着いたのが始まりとされています。
その後、西暦1224年、源氏村上清重が承久の変で追われ、この地に移り、村上一族と朝日家とが中心となり、この地を拓き、近郷を領しました。
例祭は、1月5日の正月祭と11月23日の霜月祭で、正月祭には「御弓神事」が行われていましたが、現在は残っていません。
現在は、11月23日霜月祭と1月3日に正月祭として、獅子舞奉納が行われています。
記録では、天保九年(西暦1838年)から、正月祭と霜月祭に獅子舞神楽が奉納されたとあります。
◆三尾川八幡神社の例祭
東牟婁郡古座川町三尾川区内にあり祭神は「誉田別命(ほんたわけのみこと)」【応神天皇】
神社には神明造りの本殿と神楽奉納の舞台があり、例祭は10月の第2土曜日宵宮、翌日が本祭、渡御には「御輿」と「幟」そして獅子舞が付き、道中笛を吹きながら行いますが、場所により道中笛が違うようで、曲を聴くと一行のいる場所が分かったそうです。
獅子舞は、過去の奉弊の記録から、約380年前から奉納されていると言われており「同盟社」と言う社中が継承してきましたが、現在は区が保存継承したいます。
「社中制度」が存在した頃は、代表者を「社長」と呼び、祭の練習始めの「山入れ」から、前日の「押し上げ」まで、山仕事の人たちが同盟社に泊まりがけで獅子舞の練習に励んだそうです。
◆河内祭り(こうちまつり)
古座川流域の5地区(古座、古田、高池、宇津木、月の瀬)が担い手となって行われてきた伝統祭礼で、紀州藩が編纂した「紀伊続風土記」に「日置浦より新宮迄の間に此祭に次ぐ祭なし」と書かれるほど古くから有名な祭りであった。
河口に位置する古座の中心産業は漁業、その他の地区は主に山林業を基軸に長年コミュニティーを形成してきました。このように性格を異にする地域が年に一度、共に河内神社(河内様)に集い、それぞれ独自のやり方で祭礼を行うという、他にあまり例をみない形式の祭りである。
祭りのハイライトは、江戸時代に沿岸捕鯨で栄えた古座の鯨舟に華麗な装飾を施し、軍艦に見立てた三隻の御舟(みふね)の水上渡御です。
河内神社のご祭神は河口の古座神社に合祀されているのだが、この例大祭では、元々鎮座されていた約3km上流の「河内様(コオッタマ)」と呼ばれ、ご神体とされる川の中の小島まで「河内大明神」に神額を揚げた御船が遡り、そこが主祭場となります。
そして熊野地方の獅子舞のルーツといわれる古座流の獅子舞の競演や、櫂伝馬競争など見どころが多いお祭りです。
  民話の王国 古座川
◆一枚岩(いちまいいわ) 古座川町相瀬
古座川町相瀬地内にある国指定の天然記念物は、高さ100メートル、幅500メートルの一枚の大きな巨岩で辺りの風物を圧して川淵からそそり立つ姿は重厚である。 四季折々には、 桜、 せっこく、 キイジョウロホトトギスの花が咲き乱れ、変化のある景観を楽しむことができ、夏はキャンプでにぎわいます。また、ここには、その大きさにあった伝説が残されています。
「その昔、太地に居た”岩が大好物”の魔物は、古座川に目を付け、下流の岩から次々食べていきました。いよいよ一枚岩を食べようと噛み付いた時、里に住む猟犬が襲いかかったのです。
魔物は犬が大嫌いだったので、一目散に古座川から逃げ出し、一枚岩より上流の渓谷は壊されずにすみました。
魔物の歯形跡と言われる部分は、岩の中央部、今の一枚岩鹿鳴館前に残されています。また、「陰陽の滝」と呼ばれる滝は、魔物の悔し涙が流れ落ちているのだそうです。
◆虫喰岩(むしくいいわ) 古座川町池野山
石英祖面岩が山肌となる、池野山。その山の尾根が平地に届く辺りには、風雨の浸食によって多くの洞窟ができた場所があります。蜂の巣や、いくつかの顔の表情のようにも見えるこの部分は、虫喰岩と呼ばれる国指定天然記念物です。穴のあいた小石に糸を通して願掛けをすると、耳の病気が治るとの言い伝えがあるので、今でも願いのこもった小石が置いてあります。
◆ぼたん岩(ぼたんいわ) 古座川町月の瀬
月の瀬にある岩で、岸壁にまるで牡丹の花のような浸食跡が築かれています。ぼたん岩の川向こうには、三伏の岩という岩があり、山の主は、この穴とこのぼたん岩の穴に、半月ずつ住むとされてきました。昔、那智神社参拝に出向いた男が、帰りに一緒になったある女性と道中を歩いていると、ぼたん岩の前で「ここに住んでいるので、どうぞお入り下さい」と言われました。とたんに、竹やぶが急に立派な家に変わったので、「今は結構」と断り別の日に来ることを約束しましたが、恐くて行けなかったとか。その後、毎年その約束の日には、男の子孫はぼたん岩の前は通らないそうです。
◆少女峰(しょうじょほう) 古座川町月の瀬
昔、おふじというたいそう美しく気立てのよい少女が、月の瀬に住んでいました。彼女は神王寺にいた修行僧に恋していましたが、乱暴者の海賊の頭に見初められ、ある夜無理矢理連れていかれたそうになりました。必死でかさね山に逃げ込もうとしたおふじでしたが、結局追い詰められてしまい、高い峰から古座川めがけて身を投げてしまいました。まだ17歳だった夜の出来事だったので、この地は別名十七夜獄とも呼ばれています。この少女峰には、毎年夏の初めにおふじの化身とも思われる赤いさつきが咲き、毎月十七日の月の夜には、下の河原で村人が線香を焚いて供養するとか。
◆滝の拝 太郎(たきのはいたろう) 古座川町滝の拝
滝の拝に住んでいた滝の拝太郎という侍は、神様に願かけをして刀で穴壷を掘っていました。999壷を掘り、あと一つで1000壷という日に刀を滝に落としてしまいました。刀を求めて滝壷に潜った太郎は、七日間姿を現さず、家人や村人が初七日法要を行っていると、ひょっこりと滝壷から戻ってきました。七日間太郎は、滝壷で滝のお姫様の歓迎を受けていたとか。そして刀と共に、丸い大きな石のお土産を手に帰ってきたのでした。以前は滝壷で雷のように鳴っていた音が、この丸い石を持って来て以後は聞こえなくなり、この石は、今も滝の神様を祀っている金比羅様の境内に残されています。
◆光泉寺の子授けイチョウ(こうせんじ) 古座川町三尾川
江戸時代の終わり頃。三尾川をふるさとに持つ医者、日下俊斉という医者の夢枕に、髪を振り乱し真っ青な顔をした娘が立ちました。「私は、三尾川にある光泉寺の銀杏の木の精です。私は今、畑作りの邪魔になるからといって切り倒されようとしています。私の命を救えるのは、村人から尊敬されている先生の他にはありません。どうかお助けください。」といって、消えてしまいました。俊斉は気になり、すぐにふるさとに向かいました。光泉寺に着くと、銀杏の木の根がはびこり農作物が不作となるので切ってしまえと、村人達が相談している真っ最中でした。俊斉は、銀杏の木の精の話を告げ「これからは村の役に立ってくれるであろう」と説得し、しぶしぶながらも村人達は納得したのです。その後、守られた銀杏の木の周辺の畑は土が肥え、たくさんの作物が取れるようになったとか。
こうして樹齢を重ねた銀杏の樹は、その大きさもさることながら、外観も印象的です。空に延びた太い枝の途中から乳房のようなコブが垂れ下がり、その姿にあやかって子供のできない人が願掛けすれば授かるとの噂が。そこからこの銀杏の樹は、子授けイチョウと呼ばれるようになりました。
◆妙露寺の観音さま(みょうろじのかんのんさま) 古座川町宇筒井
滝の拝をすぎて、さらに支流へとのぼっていくと宇筒井という小さな集落があります。そのまた山奥にいくと、観音さまが滝に打たれている姿を見ることができます。10m程上から落ちる水を一身に浴び、足元には深い滝壷がひろがっています。
その昔、人々は「日照りの続く日は、妙露寺の観音さまへお願いすれば必ず雨を降らしてくれる。」「首から上の病には観音さまがきっと助けてくれる。」と深く信じていたそうです。
けれども妙露寺の観音さままでは大変遠く険しい道のりで、病におかされた人の足ではたどりつくのも困難でした。そうした人々は、願い事を小旗に名前と年を書いて道中に置き、そこを通る信者の手によって観音さまのお堂へと届けられていきました。そんなある日のこと、大雨がふり、観音さまの笠石が流れ落ちて村の近くの大木の側まで流れ着いたそうです。不思議なことに、笠石はそこから少しも動かなかったことから、宇筒井の人々はそこに祠をたててまつり始めたということです。
◆いくさ地蔵(いくさじぞう) 古座川町添野川
七川ダムに流れ込む添野川の近くに、お地蔵さんを祀った小さな祠があります。昔、この地に彦八という親孝行な息子が母と一緒に住んでいました。ところが、大阪の役で軍夫に徴用され村を立つことになった彦八。その道中で草の中に埋もれた地蔵を見つけ、「一人残る母のためにも、無事帰還なさしめ給え。そのお礼に、里から移しておまつりします。」と祈りました。祈りが通じたのか、無事帰還した彦八が背負って里に持ち帰り祀ったのが、この祠です。近くには彦八の墓も作られています。かつては、近所の人が「弾よけの護符」をつくり、太平洋戦争中には全国から参拝者が集まったエピソードもありますが、今ではもっぱら合格祈願の祠になっています。
◆八十八体の石仏(はちじゅうはったいのせきぶつ) 古座川町大師山
標高656.6mの大師山の山頂付近に鎮座するのが、88体の石仏群。山頂なので訪れる人も少なく、その存在自体、地元の高齢者以外あまり知られていないのが現状です。誰が、いつ、どのような方法で設けたのかを明確に記されていない分、神秘性すら漂います。弘法大師の教えに基づいて開かれた、四国八十八箇所霊場。その象徴を、ミニチュア的にこの地に再現しようとしたのか。そんな熱意が感じられる石仏群です。
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